正月2日、産まれてから16歳まで住んでいた地域をふと散策した日

 元旦は大晦日の夜更かし深酒のせいで初日の出に起きられず…、昼から自分の親の家に行って正月の宴から、妻と初詣と初映画と初「焼きます」。
んで本日は妻の実家に行く前に独りで御朱印戴きながら、産まれてから16歳まで住んでいた地域を散歩。


 森ノ宮駅から2つの神社をお詣りしたのち、うちの氏神様だった白浜神社(大阪市城東区中浜2−3−15)から昔住んでいた地域をじっくりを思い出しながら巡ってみた。




 めばえ→楽しい幼稚園→小学○年生→中○時代を毎月配達してもらい、そして漫画や学習本をいつも買っていて、けっしてココではエッチな本を買えなかった藤本書店はどうもまだ営業している模様、自分の子どもの頃、かなり高齢のおじいちゃん・おばあちゃんが切り盛りしていたから、きっとその頃より3代目くらいになっているんやろか?
いつも行っていた銭湯が休みの時に時々行ってたときわ湯は今も変わらず営業している模様で、うちが配達してもらっていた辻酒店も健在のようだ。
小さい頃、よく遊んでいた同級生女子んちの薬局はもう営業していないようだが、親が留守の時にお世話になっていたそば屋の更科は営業しているようだ。
小林の散髪屋は営業しているようだが(ここで髪を切った覚えは無いが、ときどき待合で漫画は読んでた)、中学の時に年末お餅の配達で毎年アルバイトさせてもらった和菓子の旭堂は営業続けているかどうか不明、ここの若奥さんが中学の頃あこがれの人だった、藤江の金物屋は健在。
同じく親が不在の時にいつも食べに行ってて、うちの中学の先生がみんなお昼に出前を取っていた「ながまさ」はどうももう営業していない感じ。
手前の駐車場は、昔は交番所で、その向こうの白い建物の場所に、自分が産まれてから16歳まで住んでいた、工場兼住居があった。
実は未だに、自分の本籍地はここのまま、自分のルーツなので、どうしても本籍地を変えることが出来ない。
向かいの森瀬さんちから次のかど(葛野さんち)までが、小学生の頃まで、自分の遊び場、野球・サッカー・ローラースケート・駒にメンコにおはじき・かくれんぼに鬼ごっこに探偵に名前呼びんにろっくんにてんちょうに…、とにかくここで遊んでいた。
自分の思い出の中では、幅30m・長さ500mくらいの感覚だったが、実際は5m×40mだったようだ。
森瀬さんちの息子さんは昔の離れのとこで建築事務所を構えている模様、清水さん、藪木さん、芝村さん、辻さんちはそのまま(建て替えているけど)、他の人はもう住んでいない。




 きれいな3姉妹がいた高辻電気も、妙に色っぽいおばちゃんの(小学生から見ておばさんやからほんとはお姉さんやったんやろな)サカの化粧品屋は、営業しているのかどうかは不明、でも酒屋の淡路屋は、息子が継いでやっているらしい。
信楽の寿司屋はもうやっていないようで、当時も廃業していた窪田の美容室は朽ち果てていたが、お使いのお駄賃で買い食いしていた美味しい美味しい揚げたてコロッケの精肉の大和屋はまだがんばっている感じ。
信楽の寿司屋のライバル店になった美和寿司はがんばっているようだが、一瞬だけ付き合った1個下の子の母がやっていた当時地域に妙に場違いなおしゃれブティックはなくなっていた(あれ?今思い出すとそのこの名前は美和やなかったっけ?この寿司屋は親の店?)。
うちの妻も子供の頃(隣の校区に住んでいた)買い物に来ていたらしい(もちろんお互い知らなかった)ファンシーショップ小町屋はまだ営業している感じ、自分が子どもの頃、おとこ女みたいでちょっと気持ち悪かった年齢不詳な店主、まさか今も現役なのか??
橋本楽器、この店で自分のお小遣いで初めて買ったレコードは榊原郁恵の「夏のお嬢さん」、中学時代、洋楽にハマっていた頃、視聴させてくれと頼むといつも不機嫌な店主、「M」のアルバムがむちゃくちゃ反っていて、交換を頼んだら、拒否されて以来、ここでレコードを買わなくなったという因縁のお店、CD・テープというのが不明やけど今でも生き残れている感じ、お隣のうえほりの散髪屋は健在、小学校高学年くらいで色気づいてきて、こんな髪型にして欲しいと注文しても、仕上がりはいつも通りのカツオ、裏で親が手を回していたようだ。
うちの自転車・バイク・車はすべてお世話になっていた脇上商会と、子どもの頃、野球のコーチをよくしてもらったが新婚で子どもが出来たばっかやのに若くして亡くなってしまった小坂さん、奥さんがお店を継いで女手一つでがんばっていたが、今はまだ営業しているかどうかが不明。




 このお好み焼き・明石焼きのあかしやの娘が一個下で、サーファー風でローラースケートとかスケボーとかの西海岸的遊びが好きで、なんか夜な夜な&週末によく一緒に遊んでいたけど(可愛かったな~、けど口説かなかった)、ここのお好み焼き・明石焼きの味はちっとも覚えていない。
ここの豆腐屋もよくお使いに行かされたけど今は営業していないが、同級生の家の浜崎の鮮魚屋は今もがんばっている。
前を通るたんびにケロリンの象さんを無駄にしばき倒していた新大阪の薬局はもうやってへんかな。
このアパートの2階に祖母が一人で住んでいて、中学の帰り道、オレンジのテントの上の窓から、いつもおばあちゃんが顔を出していた、自分や弟が、通るのを待っていて、「おばあちゃん、ただいま!」って手を振っていたが、ほんとは友だちの手前、気恥ずかしくて気恥ずかしくて。
クラブとか、寄り道して遊んでたり、試験で早く帰る日とか、おばあちゃんは、何時に通るかの情報なんか知るよしもなかったのに、いつ通っても、見上げるとおばあちゃんが…、今思うとほんまに泣けてくる、もっと優しくすべきだったのに。
母に言われて夕方おかずを届けると、必ず10円とか、日によっては30円とかお駄賃がもらえるので、そのお使いは、弟らといつも取り合いだった。
いつも靴を買っていたぽっぽ屋、未だ健在の模様、月星(ムーンスター)の靴が一番のハイテクシューズやったな~。
村井歯科がオープンしたときは、ほかの歯医者がくすんで見えるほどハイカラな感じやった~、ここの娘は幼なじみやったけど、でも私立の小中学行ってて、なぜか公立のうちの中学に転校してきたが、ちょっと鼻持ちならない感じながら可愛かったら気にしていたな~、あんま相手しくれなかったけど。
自分の出身中学校、正門と校舎の配置がずいぶん変わっていて、ちょっと懐かしさが減退していたが、正門前のかーこの実家、喫茶「風来坊」は健在、むちゃくちゃ懐かしい!
正月2日なんで、今、営業しているのかどうか、どうなっているのか正確にわからないので、あらためて、平日の昼間に歩いてみたい、そして、出来れば、一軒一軒、声を掛けてみて、昔話とかも出来たらいいなあ、って、しみじみ思った。


 中学時代、夏や秋の祭りが社交場であり大イベントだった諏訪神社(大阪市城東区諏訪2丁目15−16)で一応ゴール。


 中学時代に付き合った女の子の家を何人か思い出してチェックしてみると表札が変わっていなくてドキドキしたりしながらの(親はいてもまさか本人が今だに住んでいることはないと思うが)この散歩は、その後、放出駅まで行って終了。


 妻の実家にようやくたどり着く、今年も妻の母の美味しいお節料理を堪能、もちろん今年も棒鱈がある!
お母さん、いつまでもいつまでも、この棒鱈を食べさせて下さいね!
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