関東の味付けのルーツってこっち?


 関東の味付けが、長年馴染んだ大阪・関西の味と違いすぎて、のたうち回っているってのは、皆さん、ご存じの通り。
自分なりに、この違いについて、いろいろ考えてきた。
関東ローム層で水が硬水のため昆布の旨味が出にくいのでだしを活かせないってこととか、小学生の時に読んだ本に書いていた「江戸時代、和歌山から船で醤油を江戸に運んでいく際、水分が蒸発して醤油が濃くなった」とか(←これはどうもちょっと違うようだが)、気っぷが良くて短気で潔い江戸っ子はつゆをぐずぐずと飲むような気質ではないとか、安い素材をいかに活かすかより「高いものをより高く」ってな権威主義な気質でないと勝ち抜けないという民度とか、いろいろ思ってきたが。
でも、先日の那須塩原出張の新幹線にあった「トランヴェール」って車内誌2016年1月号の記事を読んで、「そもそも」が違うのかもということを知ってしまったかも。


 「江戸の粋は利根の流れに乗せて -江戸の政治・経済・文化を支えた水の路-」ってな特集記事。
まず、ここのリード文のところには、「すし、そば、うなぎ、天ぷらなど江戸の食文化を支えた『関東地回りしょうゆ』発祥の地ともいわれ…」ってところから、大阪人は引っかかった。
本文を読み進めていくと…。

 「銚子は、東北地方の米などを運ぶ中継地として、重要な役割を果たすようになる。米だけではなく、利根川流域の産物も、この水運を使って次々と江戸へ運ばれた。例えば、酒やしょうゆ、みりん、みそだ。そして、実はこれが江戸の食文化に大きな影響を与えることになる。江戸時代中期までは関西から運ばれてた『下りしょうゆ』が珍重されていた。それが、文化文政時代(1804~1830年)のころには、銚子などで造られたしょうゆにそのシェアを逆転される。『銚子や野田で造られるしょうゆの品質があがったことと、江戸好みの味を創り出したことにある』と、江戸の食文化を研究する国士舘大学教授の原田信男さんは言う。今でいう濃口しょうゆはこの時期には生産されていて、『関東地回りしょうゆ』として江戸の町を席巻していく。この江戸の食文化に与えた影響は大きかった。」

 え~っっっっ!関東の水のことや、運ばれてくる醤油の都合で消極的にこんな味付けになっちまったと同情していたが、ちゃうのか~!!??


 さらに読み進めていくと…。

 「そばもしょうゆの質の向上によってよりおいしくなる。天ぷらのつゆは、誕生の時期が不明だが、しょうゆがなければだし汁の域を抜けることはなかっただろう。江戸の食文化を代表する料理は、いずれも上質のしょうゆやみりんなどが安く手に入るようになったからこその進化だと考えられる。『江戸の調味料が、江戸の文化を支えていたことは間違いありません』と、原田さんは言う。」

 「だし汁の域を抜けることはなかっただろう」ってどういうことや???
いや、「そばもしょうゆの質の向上によってよりおいしくなる」ってのもなんやねん????
こうなると、「そもそも」が違うのかも知れない、いや、別にそれでもいいし、どっちが正しいとか間違っているとかってことではないからいいねんけど。
自分としては、大阪人であって、大阪の味でよかったな~って思うけどね~。

 愛知県・岐阜県・三重県までが、一般家庭で醤油を使い分ける地域の東限であって、それより東、東海(中京)地方は濃厚な味わいを持つたまり醤油、関東東北をはじめとする東北日本では、もっぱら濃口醤油を使う。
国産醤油の元祖であるからか濃口醤油が主流の和歌山県以外の、愛知岐阜および富山から西側(近畿地方および中国・四国地方)では、煮物や吸い物用にはうすくち醤油または白醤油を用いて、食材の色と出汁の風合いを壊さないように調理し、刺身などつけ・かけ醤油については、濃口かたまり醤油というように使い分ける。
また九州と四国の西の方では、甘みが目立つ醤油が広く好まれている。
いやはや、こういうのってほんま興味深いもんだ。
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