グレン・フライがお亡くなりになって、今度こそほんとにイーグルスはFarewellなんだ…(T^T)


イーグルスのグレン・フライさんが死去、67歳
 「ホテル・カリフォルニア」などのヒット曲で知られる米人気バンド「イーグルス」のグレン・フライが1月18日、ニューヨークで亡くなった。67歳だった。バンドの公式ホームページ(HP)で発表された。フライさんの家族はHPに、フライさんが回復するために祈ったすべての人に感謝したいとのメッセージを寄せた。イーグルスは1972年にデビュー。フライさんがリードボーカルを取ったデビュー曲「テイク・イット・イージー」がヒットし、一躍人気バンドとなった。1976年に発表したアルバム「ホテル・カリフォルニア」は、グラミー賞の最優秀レコード賞を受賞。1970年代を代表するアルバムとなった。

 

 この訃報を聞いて以来、何度もなんども「ヘル・フリーゼズ・オーヴァー 」と「フェアウェル・ツアー ライヴ・フロム・メルボルン」を観まくっているが、観るたんびに、グレン・フライ・ロスが募る…。

 自分にとって、世界で最も大好きなバンドは、このイーグルス、世界で最も大好きな曲は「ホテカリ」。
滅多に歌わないが、自分のカラオケ18番はじつは「ホテカリ」、聴いたことがある人からはいろんなご意見があるとは思うが、それはすべて無視させて頂きます。
グレン・フライがお亡くなりになって、今度こそほんとにイーグルスはFarewellなんだ…(T^T)

 

 グレンフライの足跡をたどるとすれば、ビバリーヒルズ・コップのテーマ曲で売れた「ヒート・イズ・オン」や、ソロアルバムとして秀逸であった「ソウル・サーチン」を押さえておきたいが、でも、きっぱりとイーグルスの足跡を押さえておく。

 イーグルス、結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド編成のためにミュージシャンが集められた機会だ。
これにグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔をあわせ、後に彼らは独立して、1971年8月にバンドを結成することを思いつき、ロンシュタットが所属していたアサイラム・レコードからイーグルスとしてデビューした。


 デビューアルバムは1972年 『イーグルス・ファースト』Eagles(22位)。
このアルバムからは、Take It Easy(12位)、1972年 Witchy Woman(魔女のささやき 9位)、Peaceful Easy Feeling(22位)がシングルカットされた、デビュー当初は一般にはカントリー・ロックのイメージが強かった。


 2枚目は、1973年 『ならず者』Desperado(41位)。
Tequila Sunrise(64位)、Outlaw Man(59位)がシングルカット、タイトル曲のバラード「ならず者」は、シングルカットされなかったが、後にリンダ・ロンシュタットやカーペンターズに至るまで、数多くのアーティストたちにカバーされるスタンダード・ナンバーとなっており初期のイーグルスの代表曲。


 3枚目は、1974年 『オン・ザ・ボーダー』On The Border(17位)、Already Gone(過ぎた事 32位)、James Dean(77位)、The Best Of My Love(我が愛の至上 1位)がシングルカット、ロック色が色濃く出てきたのがこのアルバム。
このアルバムに参加したドン・フェルダーは後にバンドメンバーとして加入、彼のギターによってロック的色彩を強めることとなった。


 4枚目は、1975年『呪われた夜 』One Of These Nights(1位)。
One Of These Nights(呪われた夜 1位)、Lyin' Eyes(いつわりの瞳 2位)、Take It To The Limit(4位)がシングルカット、このアルバムは全てヘンリー・フライのコンビを中心としたバンドのメンバーだけ曲作りされたが、一方でバーニー・レドンは、バンドの音楽的方向性への疑問も重なったことでアルバム発表後の1975年12月に脱退した。


 5枚目は、1976年『ホテル・カリフォルニア』Hotel California(1位)。
シングルカットは、New Kid In Town(1位)、Hotel California(1位)、Life In The Fast Lane(駆け足の人生 11位)、ジョー・ウォルシュを迎えたこのアルバムはグラミー賞最優秀レコード賞受賞、現在までに米国内で1,600万枚以上、全世界で2,000万枚以上を売り上げている。。
ウェストコースト・ロック界の凋落、ひいては商業主義化したロック界への皮肉、あるいは現代社会・都市社会の歪みへのアンチテーゼなどを言外に含み、意味深長な内容の楽曲が配置されているのだが、このアルバムで、イーグルスは商業主義化したロック界に君臨することとなったというのもまた皮肉。
中学2年生の夏休みに1ヶ月間、アメリカのオレゴン州ハリスバーグでホームスティをしたときのラジオで、ホテカリを聴いて、どハマり。(その時のアメリカのヒットチャート1位はダントツでナックのマイシャローナ)
日本に帰ってから、週間FMfanやFMレコパルで、イーグルの楽曲がラジオで流れるのを探して、一生懸命、Air Checkしたのがこの頃。


 6枚目は、1979年 『ロング・ラン』The Long Run(1位)。
シングルカットは、Heartache Tonight(1位)、The Long Run(8位)、I Can't Tell You Why(言いだせなくて 8位)、このアルバムからティモシー・B・シュミットが加盟、アルバム全体の雰囲気は、かつてイーグルスの爽快さは影を潜め、重苦しさが漂うものとなり、さらにアルバムのラストを飾る「サッド・カフェ」は1977年に亡くなったバンドのマネージャーである、ジョン・バーリックに捧げられているが、しかし、曲全体を覆うたそがれた雰囲気とその歌詞から、グループ活動にピリオドを打つというニュアンスも感じられた。
ところで、中学2年生であった自分が初めて買ったイーグルスのアルバムはこれ、もちろんLPレコード。
22歳頃からレコードからCDに変わってきた、その頃から順番に、イーグルスの過去のアルバムを買い集めた。


 7枚目であり、再結成アルバムとなったのは、1994年『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』Hell Freezes Over(1位)。
シングルカットは、Get Over It(31位)、アルバムの構成は、1曲目から4曲目までが新曲で、それ以降はMTVでのライブとなっている。
このアルバムをひっさげて、世界規模でのツアーを展開、日本には1995年に16年振り3度目の来日、東京と横浜、兵庫、福岡で行なった。(甲子園球場行きました、涙ちょちょ切れで悶絶死しそうになりました)
そして、2004年から2005年にかけては、「Farewell I Tour」(第一回さよならツアー)と題されたツアーが行われ(「さよなら」というのはジョークであり、その後も米国内外で公演が行われている。)、日本では2004年には5大ドームと横浜アリーナにおいて、9年振り4度目の公演が行われた。(大阪ドーム行きました、脳天かち割りで腹上死しそうになりました)


 8枚目は、2007年 『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』Long Road Out Of Eden(1位)。
シングルカットは、How Long(101位)、Busy Being Fabulous(享楽の日々)、What Do I Do With My Heart(戻れない二人)、なお『イーグルス・ベスト・コレクション』(The Very Best of the Eagles)からシングルカットされたHole In The World(69位)も収録されている。
13年振りとなるスタジオ・アルバムで、新曲のみで構成されたものとしては『ロング・ラン』以来であり、実に28年ぶりの作品となる。
全米・全英で初登場1位、イギリスではこれまでのアルバム・シングル含め全ての作品の中で首位獲得経験がなかったが、この作品で初の1位となった。
タイトル曲のロング・ロード・アウト・オブ・エデンは10分17秒もの大作、ある意味、ホテカリを乗り越えてしまったとも思える楽曲、精魂込めて作られている作品。

      

 ちなみにこのアルバム枚数のカウントには、1980年『イーグルス・ライヴ』Eagles Live(6位)、1976年 『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』Their Greatest Hits 1971-1975(1位)、1982年『グレイテスト・ヒッツ VOL.2』Greatest Hits Volume 2(52位)、1985年『ベスト・オブ・イーグルス』The Best Of Eagles、1994年『ヴェリー・ベスト・オブ・イーグルス』The Very Best Of The Eagles、2000年『イーグルス・ヒストリーBOX 1972~1999』Selected Works 1972-1999(109位)2003年『ベスト・コレクション』The Complete Greatest Hits(3位)は含んでいない。 
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