6月0日 アイヒマンが処刑された日 歴史に立ち会ってしまった気がしたし、そしてこのラストは…!

【🎦23 2023/9/9鑑賞】OECD38国中、31国が禁止しているライドシェアを(日本含む)、今さら、日本でって言っている、すがっち500、河野太郎アナログ大臣、セクシー小泉進次郎、その他、ニックネール付ける字数かもったいない橋下徹、竹中平三、音喜多らに、どうやってわからすか、について、参議院議員会館で打ち合わせな午前。
1961年、ナチスドイツの戦犯アドルフ・アイヒマンの数か月に及ぶ裁判がイスラエルで行われ、死刑の判決が下される。一家でイスラエルにやって来たリビア移民のダヴィッド(ノアム・オヴァディア)は、授業を中断してラジオに聞き入る教師と級友らを目の当たりにする。彼はゼブコ社長(ツァヒ・グラッド)のもと、町はずれの鉄工所で掃除の仕事をすることになるが、そこにアイヒマンを火葬する焼却炉の設計プロジェクトが持ち込まれる。
第2次世界大戦中、ナチスドイツのホロコーストに関与し、多数のユダヤ人を強制収容所に送り込んだアドルフ・アイヒマンにまつわるエピソードを描く人間ドラマ、火葬が法律により禁止されているイスラエルで、アイヒマン火葬のための極秘プロジェクトが進められるという作品。
イスラエルとアメリカの合作で、原題は「June Zero」、ヘブライ語だと「I0 ביוני」となるが、イスラエルでこの映画の題名がどう表記されているかは不明。
ユダヤ人大量虐殺の責任者・アイヒマンの処刑という巨大な歴史の1ページに携わった、イスラエルの庶民たちの物語。

オットー・アドルフ・アイヒマン(Otto Adolf Eichmann 1906年3月19日 - 1962年6月1日)は、ドイツの親衛隊隊員。最終階級は親衛隊中佐。
ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 (収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘスへのユダヤ人大量移送に関わった。「ユダヤ人問題の最終的解決」 (ホロコースト) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。
第二次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁 (モサド) によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、4か月にわたる裁判の末、イスラエル政府はアイヒマンに61年12月に死刑判決を下し、翌年5月31日から6月1日の真夜中《イスラエル国家が死刑を行使する唯一の時間》の“6月0日”に絞首刑に処した。遺体は火葬され、遺灰はイスラエル海域外に撒かれたことが知られている。
公判時にアイヒマンは「1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉を残したとされる。アイヒマンは死刑の判決を下されてもなお自らを無罪と抗議しており、その模様は記録映像にも残されている。
人口の9割がユダヤ教徒とイスラム教徒を占めるイスラエルでは律法により火葬が禁止されており、火葬設備が存在しないのに、では、誰が、どうやってアイヒマンの遺体を火葬したのか?という疑問。
居場所のないリビア系移民の少年ダヴィッド、アイヒマンを監視する看守ハイム、ポーランドのゲットーでホロコーストから生き延び裁判ではアイヒマンを尋問した捜査官ミハという、異なったルーツを持つ3人の目を通し、さらに遺体処理の極秘プロジェクトに巻き込まれた町工場の人々とイスラエルの片隅に生きる人々を通した物語が克明に描かれている。

1961年という時代を再現するうえでアナログな映像表現にすることによるリアル、音楽の使い方なども巧妙で、ジェイク・パルトロウ監督の仕事は手堅い。
アイヒマンを監視する刑務官の「死刑まで何もトラブルは起こさない」という神経のすり減らしかたが、ヤバいほどリアルですさまじいほど感情移入させられて、観ている方も一触即発な緊張感を体現させられるのは、鳥肌が立つ。
ポーランドのゲットーのシーンが戦争前のウクライナ、キーウで撮影されたそうで、今、ロシアによる武力侵攻で見せられる映像とは違いすぎていることが悲しい。
一方でアイヒマンの見せ方が、こっちのイマジネーションを広げさせるという意味でイマジネーションがかき立てられる。
そして、このラストは…!😢
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