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大河への道 地図が完成したときに伊能忠敬が生きていなかったことはみんな知ってるよ~ってな映画


【🎦17 2022/05/29鑑賞】 千葉県香取市役所では町おこしのため、日本初の実測地図を作った郷土の偉人・伊能忠敬を主役にした大河ドラマの制作プロジェクトを発足させる。ところが脚本作りの途中、忠敬は地図完成前に亡くなっていたという新事実が発覚し、プロジェクトチームはパニックに陥ってしまう。一方、江戸時代の1818年。忠敬は日本地図の完成を見ることなく世を去り、弟子たちは悲しみに暮れる中、師匠の志を継いで地図を完成させるため、壮大な作戦を開始する。

 立川志の輔の落語「大河への道 (河出文庫)」を中井貴一企画で映画化、現代と200年前の江戸時代を舞台に、日本で最初の実測地図を作った伊能忠敬を主役にした大河ドラマ制作プロジェクトの行方と、日本地図完成に隠された秘密を描くという映画。
伊能忠敬の亡き後、その志を受け継ぎ日本地図の完成に向けて尽力する伊能隊の様子が映し出されているのだが、この映画では「伊能忠敬の亡き後」に日本地図が完成したことを、衝撃の新事実として、または秘密の暴露として取り上げられてしまっている…。
そんなん学校で習ったからみんな知ってるでしょ(笑)

 この映画で問題になったのは、伊能忠敬の年表で言うと、このあたりか。

文化8年 1811年 67 第8次測量 甲府‐小倉‐鹿児島‐屋久島‐種子島‐九州内陸部‐長崎‐壱岐‐対馬‐五島‐中国内陸部‐京都‐高山‐飯山‐川越 913日間
文化12年 1815年 71 第9次測量 忠敬は参加せず。東海道‐三島‐下田‐八丈島‐御蔵島‐三宅島‐神津島‐新島‐利島‐大島‐伊豆半島東岸‐八王子‐熊谷‐江戸
文化13年 1816年 72 第10次測量 江戸府内 
文化15年 1818年 4月13日 74 死去、喪を秘して地図製作を続行。
文政4年 1821年 没後 『大日本沿海輿地全図』完成、三ヶ月後喪を公表。


 忠敬とその弟子たちによって完成させた「大日本沿海輿地全図」は「伊能図」とも呼ばれている。
縮尺36,000分の1の大図、216,000分の1の中図、432,000分の1の小図があり、大図は214枚、中図は8枚、小図は3枚で測量範囲をカバーしている。
日本で初めての実測による日本地図であるが、測量は主に海岸線と主要な街道に限られていたため、内陸部の記述は乏しい。
測量していない箇所は空白となっているが、地図には沿道の風景や山などが描かれ、絵画的に美しい地図になっている点も特徴の一つ。
忠敬が測量で主に使用していた方法は、導線法と交会法で、当時の西洋で主流だった三角測量は使用していないそうだ。
そして、忠敬による測量の特徴的な点は、誤差を減らす工夫を随所に設けたことと、天体観測を重視した点が上げられる。
結果、「大日本沿海輿地全図」は、現行の日本地図と比較しても、その誤差はわずか0.2%といわれ、衛星も何もない江戸時代に、地球1周分の距離を歩いて測量し、驚異の正確性を誇る地図を完成させた。


 あ、そういえばこの記事は映画のレビューだった。
鑑賞した日は、観たい映画が4本あって、前後の自分の都合と上映時間が一番しっくりはまったこの映画を選んだのだが…こんちくしょう。
現代劇パートと時代劇パートを、役割は違うが同じ役者で演じさせているんやけど、どっちにしても中井貴一は中間管理職、北川景子は「目力」だった、以上。
ちなみにこの浜は、秋から春によく波乗りしに行った京都の琴引浜です、見てすぐに解ったし、エンドロールでも確認した。



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