それでも夜は明ける 政治的配慮の「アカデミー作品賞」やったのかな?


【20】昨日・今日と新潟に出張、2002年11月3日~5日に第39回護憲大会出席が初めての新潟で、それ以来。
だからこの週末は波乗りは無し…どうせ波無かったし~っと慰めておく~。
さらに残念なのが、今回の出張では美味しい日本酒はいろいろとたくさん頂けたが、美味しいものを食べることが出来なかった…ε-(;ーωーA フゥ…

 1841年、奴隷制廃止以前のニューヨーク、家族と一緒に幸せに暮らしていた黒人音楽家ソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。狂信的な選民主義者エップス(マイケル・ファスベンダー)ら白人たちの非道な仕打ちに虐げられながらも、彼は自身の尊厳を守り続ける。やがて12年の歳月が流れ、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バス(ブラッド・ピット)と出会い……。

 原題は「TWELVE YEARS A SLAVE」、12年間奴隷だった、だ。
奴隷制度がはびこっていたアメリカを舞台に、自由の身でありながら拉致され、南部の綿花農園で12年間も奴隷生活を強いられた黒人男性の実話を映画化した伝記ドラマ。
主人公が体験した壮絶な奴隷生活の行方、そして絶望に打ち勝つ希望を描き出しているという映画だ。
イギリス人の黒人監督のスティーヴ・マックイーン、西部劇のスティーヴ・マックイーンとは縁もゆかりもなく、まったく違う人(←当たり前)。
第86回アカデミー賞では9部門にノミネートされ、作品賞と助演女優賞と脚色賞を受賞、黒人監督の映画として初の作品賞受賞作となった。


 「人種差別 19世紀、自由黒人、白人でも奴隷と同じ扱いを受ける者がいる」というキーワードから、この映画を観ていくつか初めて知ったことがあって、調べてみた。

・アメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていたが、その所有者は圧倒的に白人であり、ごく少数が先住民や自由黒人であった。
・1808年1月1日、連邦議会はそれ以降の輸入を禁止した。新しい奴隷はその時点で合衆国内にいる者の子孫でなければならなくなった 
・それ以降、アメリカの北部と南部で奴隷の社会的な立場が違った。
・北部の奴隷は解放されたが、そうなると奴隷を売ろうとする場合の唯一の方法は南部へとなり、国内奴隷貿易と奴隷の強制移住はさらに半世紀も続いた。
・この国内奴隷貿易の規模は深南部の富に貢献した。1840年、最大の奴隷市場であり、最大の輸入港でもあったニューオーリンズは、アメリカで第3の都市となった。


 そんな時代背景の映画だった。
差別・迫害・いじめなど、今でも大なり小なりあって、けっして現在の社会が「あり得ない」と断罪できる問題ではなく、自分自身や皆さんでも、積極的・消極的かは別として、この映画で描かれている世界に、目を背ける場面がたくさんあるだろうが、しかし自己を翻ったときに、身につまされる部分はあるのではないか。
首に縄を捲かれ木に吊るされたソロモンの場面が、その象徴だと思う。  

 彼のその後の運動が、テロップで流されていたが、この映画のクライマックスとしては、そこまでしっかりと描いて欲しかった。
正直、なぜこの作品がアカデミーで作品賞を獲得したのかがよく判らない。
とにかく「時間の流れ」の描き方が最悪で、12年という歳月に対する感情移入が出来ず、それが伝わらないと、「TWELVE YEARS A SLAVE」というそもそもの部分が欠落してしまっていると思う。
アメリカの社会が、アカデミー賞を通じて、アメリカの歴史の負の遺産に、敬意を表したという、政治的配慮の「作品賞」なんだと説明されれば、納得はいくが。 
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